カトゥーン部会2017年度第2回研究会
日本マンガ学会カトゥーン部会2017年度第2回研究会のお知らせ
以下の要領で,2017年度第2回研究会を開きますので多くの方のご参加をお待ちしています。
茨木正治(部会責任者)
043-236-4650
ibaragi@rsch.tuis.ac.jp
- 日時
2018年1月27日(土)14:00~18:00 - 場所
立教大学12号館3階 B343教室(社会調査室)
(〒171-8501 東京都豊島区西池袋3-34-1) - 報告者・論題:今回は3名の方のご報告です。
小野塚 佳代 氏(京都造形芸術大学)
「『獣のような敵』――漫画からみる比喩表現について」
横田吉昭 氏(日本漫画協会)
「『公界』の住人としての漫画および「キャラクター」概念の一試論
――「無縁」の世界における「自由」な活動としての漫画――」
孙旻乔 氏(名古屋大学)
「手塚治虫のキャラクターは如何に死んだのか―手塚治虫キャラクターの死亡表現について―」 - 研究会報告
小野塚氏は、近藤日出造を編集人として1940年11月から発行された雑誌『漫画』(漫画社)を考察対象とした。その中の擬人化、非人間化表現を含む、漫画にみられる一種の比喩表現に着目し、これを「あるイメージの抽出から生まれる連想の具現化」として確認することを試みた。戦時期には非人間化のグロテスク化が進み、いわゆるhate-cartoonの様相を呈したことを述べた。
横田氏は、網野善彦などが論及する、歴史的に存在してきた社会秩序が及ばない「公界(くがい)、無縁、楽」という空間において、「漫画」につながるような図像表現は芸能・技能のひとつとして「自由」な立場にあり、「風刺」とされるような批判性、アナーキーさはそこに由来していることを明らかにした。
孙氏は、キャラクターの死亡表現を中心とし、ディズニーのキャラクターの死亡表現を再考察し、それと手塚治虫の作品におけるキャラクターの死亡表現を比較しながら両者の共通点と相違点を示した。また、その同異の内因を分析することによって、手塚のキャラクター表現の独自性を考えることを試みた。
3名の報告を受けて、さまざまな討論がなされた。小野塚・横田報告について共通する近藤日出造に着目すれば、彼の作品の内容(小野塚報告)と背景(横田報告)に関する考察とみることができる。近藤の戦前におかれた立場(新体制漫画雑誌『漫画』)と彼の漫画家としての立ち位置の模索が、横田報告のいう「苦界」を構成し、ある意味「自由豁達」な――結果として「翼賛漫画」を推進させた――作品を生み出したのではないかという議論があった。孙報告では、アニメーションと漫画作品というメディアの属性を考慮する必要があり、それが演劇・芝居・実写映画といった比較の実証性を担保するのではないか、漫画作品相互の比較を行うことが前提になるのでは、といったことが論点となった。3つの報告から、大きな2つの論点が見いだされた。ひとつは、横田報告が提示した「苦界」の問題は、漫画を介した個人と社会の問題に敷衍することができるのではないかという問いである。たとえば、「『なんでもあり』の世界」が人間個体として持っている「本質的属性」であるとすれば、それを直視することによって、あえて「社会の中の漫画」を考える手立てとなるのではないか。その他多くの議論と視角が想定されよう。もう一つは、小野塚報告と孙報告で示された、漫画における文字と画像との関係である。マージナルな部分からのアプローチを問題関心として持つ小野塚氏と、アニメーションといった異なったメディア、文化的差異・言語的差異から日本の漫画にアプローチする孙氏の試みは、文字情報と画像情報という漫画研究の「古くて新しい問題」を参加者に突き付けたといえよう。
(文責 茨木正治)